平安時代中期までは、格の高い建築物として寄棟が主流でしたが、同時代中期以降は入母屋造が圧倒的に多くなってきます。
建物に奥行きを持たせることが求められる時代になり、構造上隅木を本棟まで架け渡す必要がないという点と、重々しい屋根を小さく見せるデザイン性の面でも入母屋造が適していたようです。
また、安土桃山時代からは、織田信長や豊臣秀吉が装飾として唐破風(玄関・門・神社の屋根部などのそり曲がった曲線状の装飾)を多く用いるようになり、江戸時代に建てられた徳川家康の建築物にも多く見受けられます。
平安時代中期までは、格の高い建築物として寄棟が主流でしたが、同時代中期以降は入母屋造が圧倒的に多くなってきます。
建物に奥行きを持たせることが求められる時代になり、構造上隅木を本棟まで架け渡す必要がないという点と、重々しい屋根を小さく見せるデザイン性の面でも入母屋造が適していたようです。
また、安土桃山時代からは、織田信長や豊臣秀吉が装飾として唐破風(玄関・門・神社の屋根部などのそり曲がった曲線状の装飾)を多く用いるようになり、江戸時代に建てられた徳川家康の建築物にも多く見受けられます。